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1224gで産まれた命と向き合った日々の記録

切迫早産 -四日間の陣痛-

1224gで産まれた命と向き合った日々の記録

 

 - 前回までのまとめ -

妊娠経過に何の異常もなく安定期に入り、産休まであと少しになった27週 妊娠7ヶ月。体のしんどさを感じていた矢先、陣痛が来ました。子宮頸管6mm、子宮口も2cm開いてしまっている事が分かり、クリニックから医大へ緊急搬送されました。進んでいたお産を薬で制御することに、成功...?

 

 私は、この期に及んでバカでした。薬の力で陣痛が弱まったことで、「予定日までには退院できる」と思い込んだのでした。

 なぜこんな思い込みをしたのか?投薬で一時的に陣痛を抑えつけた日、産婦人科の相部屋には空きがなく、私は個室に入らざるを得ませんでした。つまり、症状の比較対象がなかったのです。

 更に、職場の先輩2名が切迫早産から無事正産期に出産されていたのも、思い込みの原因でした。

 

 「体を起こさないで」「寝返りだけはして良い」「横向きに寝て」と、数分おきに言われました。常にNSTを着けていて、看護師さんはほぼ付きっきりでした。食事が運ばれても、なるべく体を起こさないように念を押されました。

 薬で抑えつけた陣痛は、弱まっただけでずっと続いていました。そして少しずつ強くなり、耐えられないほど強くなるごとに薬の濃度は上がりました。

 気付けば両手に何本も点滴が付いていました。高熱をはじめ、薬の副作用で頭が朦朧としていました。

 

 いかに自分の考えが愚かだったか思い知り青ざめたのは、相部屋が空いた時でした。

 4名の相部屋、私を除く3名は体を起こして食事し、歩いて歯を磨きに行き、トイレもシャワーも使用していました。

 寝返り以外の動きを禁止され、トイレは車椅子で内診の移動時に済ませる。そんなの私だけでした。

 この時やっと、私はただ1分1秒でも長く赤ちゃんをお腹の中で育てられるよう、ギリギリで時間稼ぎをしている状態なのだと、理解したのでした。

 

 前駆陣痛に抵抗すること四日。前駆陣痛は、最大濃度の投薬でも耐えられない本陣痛に変わり、私はとうとう出産を余儀なくされました。

切迫早産 -緊急搬送-

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 - 前回までのまとめ -

妊娠経過に何の異常もなく安定期に入り、産休まであと少しになった27週 妊娠7ヶ月。体のしんどさを感じるようになり、少量の出血がありすぐにクリニックを受診しました。診察で問題が無くホッとしたのも束の間、翌日の夜に陣痛が来たのでした。朝まで様子を見ようと我慢しするも痛みは引かず、4分間隔になってクリニックを受診。結果、子宮頸管6mm、子宮口は2cm開いており、医大へ緊急搬送されました。

 

 クリニックから医大へ緊急搬送された私は、「もうお産が進んでいます。NICUの受け入れ準備は整っているから安心してください。頑張りましょう。」と言われました。

 命は助かっても、まだ7ヶ月。どうにもならないのかと、泣いて縋りました。

 と、そこで担当医が変わりました。

 

●クリニック当直の先生A

医大からの応援で当直。クリニックで私を診てすぐに医大へ連絡。その後クリニックで当直の続き。イケおじ。寝ていない。

●搬送先医大の先生B

ちょうど勤務交代前で私に遭遇。

●搬送先医大の先生C

ギリギリで嫌な患者をバトンタッチされた、超しごでき美女医。寝ていないのに綺麗。先生Aと同じクリニックに曜日指定で応援に行っている。

 

 改めて、私の担当医になった先生Cは「ギリギリまで様子見れない?」と口を挟んでくださいました。前駆陣痛か本陣痛か、投薬してギリギリまで見定めようという提案です。

 先生の説明によれば、本陣痛を薬の力で制御する事は不可能だそうです。が、前駆陣痛は薬での制御が可能とのこと。とにかく少しでも長く赤ちゃんをお腹の中に留めるため、やれる事はやろうと判断されました。

 結論、陣痛は前駆陣痛で、一時的に薬の力で抑えつける事ができました。(翌日、先生Bが「うそ...抑えられたんだ...」とびっくりされていました。)

 ですが、さすがに一度進行したお産は完全には引かず、陣痛はどんどん強くなり続け、薬を最大濃度まで足しても抑えきれないようになり、四日後の夜、本陣痛に変わりました。

切迫早産 -予兆-

1224gで産まれた命と向き合った日々の記録

 

 私の場合、切迫早産は本当に急で、自分の身に起こるなどと思ってもみなかったですし、瞬く間に事態は進行しました。

 ですが、今思えば予兆があったのです。あの時もしそれに気付いていれば、切迫早産を回避できたのかもしれません。同じ状態にある方が、奇跡的にこの記事を発見してすぐに受診してくださることを祈っています。

 私が切迫早産になったのは妊娠7ヶ月のある日、突然のことでした。

 叶うならこの世の全ての産婦人科で大声で叫びたいです。安定期に入れば安心だなんて言うな、思うなと。

 

 当時、第一子を保育園へ預けながら、時短勤務で通勤一時間程度の勤務先へ通勤していました。

 今思えばですが、陣痛が始まる一週間前から急に体がしんどくなり昼休憩で横になるようになりました。

 つわりは終わったのに、なんだか物凄くしんどい。理由は分からないけど、力が出ない。お腹が度々張っている気がする。そんなしんどさが続きました。

 仕事なんて休んでしまえば良かった。しんどい理由が明確ではなく、あと少しで産休だからとバカ真面目に出社していたのです。

 一週間後、勤務中の昼間に急に少量の出血がありました。怖くなり、翌朝にクリニックを受診。

 内診後にNST(赤ちゃんの心音モニタリング)も自分からお願いして行いましたが、出血は少量で子宮頸管も4.5cmあり、NSTも問題が無く、張り止めを処方され帰宅しました。

 陣痛が来たのは翌日の晩でした。確かに陣痛でしたが当時私はまだ妊娠7ヶ月。昨日先生から問題ないと言われたばかり。これは何...?暫くしたらおさまる...?事態が飲み込めず、朝まで様子を見ようと思ったのです。

 朝、陣痛はおさまるどころか4分間隔にまでなり、痛みで疼くまる状態でした。上の子を起こし夫の運転でクリニックを受診。周囲の空気から、取り返しの付かない状態になっていると悟りました。

 内診し、一昨日4.5cmだった子宮頸管は6mmになり、子宮口は2cm開いていました。

 当直の先生が医大から応援に来られていた方で、至急協力要請をかけてくださったため、すぐに搬送していただけた...という事だけが不幸中の幸いでした。

 〜緊急搬送から先はまた次回〜

 謎にしんどかった一週間をのぞけば、私の妊娠経過は非常に順調で、「普通」でした。

 どうか、今妊娠中の方や、妊婦さんが周囲に居るという方が万が一にもこの記事を目にしていたならば、知っておいて頂きたいです。

 どんなに妊娠経過が順調でも、瞬く間に事態は変わります。少しでもしんどかったら、休んでください。少しでもしんどそうだったら、休むように口出ししてください。もしかしたらそのしんどさが、切迫早産の予兆かもしれません。

 働く妊婦さんは、心の中で周囲に迷惑をかける事を心苦しく思っている方が多いと思います。しんどくても引き継ぎ資料を作らなきゃいけないとか、これ以上迷惑をかけられないとか。

 どうか、守ってあげてください。妊婦さんは、自分と赤ちゃんを。周囲の方は、妊婦さんを。

 子どもより大切なものなんてないのだから。

クリニックで出産できることは幸せ

1224gで産まれた命と向き合った日々の記録

 

 私は約一年前、急な切迫早産により、27週1224gで第二子を出産しました。

 という地獄を味わっている事を前提の上で、第一子出産の記録をここに綴ります。

 

 第一子を出産したのは、クリニックでした。

 子宮口が4cmまで開いた時、偶然麻酔科の先生がいらっしゃって「和痛にしますか?」と声をかけて下さいました。私はその時点での痛みがピークに違いないと何故か思っており、「このまま頑張ります」と答えました。

 言うまでもなく、子宮口4cmなんて序盤も序盤でした。その後待っていたのは激痛を超える激痛で、終始「こんな事なら死んだ方がマシだ」と頭の中で唱えていました。口に出していたかもしれません。記憶に無いのです。魂の奥底からずっとシャウトしていたもので。

 産後の会陰の裂傷も縫合にかなり時間のかかる酷いもので、座れるわけもなくボロボロでした。

 ですが、産後のクリニックは天国のような場所でした。お部屋は広く明るく清潔で、産後はママが望めばずっと赤ちゃんをお任せできるよう手筈が整っており、毎食高級ホテルのようなお料理が出てきて、マッサージとエステも組み込まれていました。

 (あえて記録しますが、全て私個人の自腹です。夫は当然のように健診時から1円たりとも金を出さず、出産祝い金も闇の中。)

 入院最終日は料理長がご挨拶に来て下さり、お祝いの言葉と共に一層華やかなお料理が目の前に広がりました。一人目の出産でそんな経験をしてしまった私は、その後それが「普通」だと思い込むことになります。

 

 クリニックで出産できるということは、本当に幸せな事です。

 その証拠に、在胎週数27週で第二子の陣痛が始まり同クリニックへ行きましたところ、あっという間に総合病院へ救急搬送されました。

 クリニックでは基本的に「危ないお産」は取り扱いません。後期に入っても何の問題もなくクリニックに通えているということは、産後の幸せを約束されているようなものだと思います。

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1224gで産まれた命と向き合った日々の記録

 約1年前、私は妊娠週数27週で極低出生体重児を出産しました。

 私は普段SNSも見る専の、多数に埋もれた発信力皆無の人間です。だから、この記録も見つける人など居ないのだろうという前提で始めることにしました。

 それでも公開設定にするのは、あの時の私と同じ境遇に居る誰かに寄り添う事が出来るかもしれないという希望を捨て切れないからです。

 

 私は今も、自分のせいでこの子に背負わせてしまった一生を左右する様々な問題と向き合い続けています。

 いつか、この子と一緒に記録を見返して笑い飛ばせる日が来ますように。