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1224gで産まれた命と向き合った日々の記録

切迫早産 -予兆-

1224gで産まれた命と向き合った日々の記録

 

 私の場合、切迫早産は本当に急で、自分の身に起こるなどと思ってもみなかったですし、瞬く間に事態は進行しました。

 ですが、今思えば予兆があったのです。あの時もしそれに気付いていれば、切迫早産を回避できたのかもしれません。同じ状態にある方が、奇跡的にこの記事を発見してすぐに受診してくださることを祈っています。

 私が切迫早産になったのは妊娠7ヶ月のある日、突然のことでした。

 叶うならこの世の全ての産婦人科で大声で叫びたいです。安定期に入れば安心だなんて言うな、思うなと。

 

 当時、第一子を保育園へ預けながら、時短勤務で通勤一時間程度の勤務先へ通勤していました。

 今思えばですが、陣痛が始まる一週間前から急に体がしんどくなり昼休憩で横になるようになりました。

 つわりは終わったのに、なんだか物凄くしんどい。理由は分からないけど、力が出ない。お腹が度々張っている気がする。そんなしんどさが続きました。

 仕事なんて休んでしまえば良かった。しんどい理由が明確ではなく、あと少しで産休だからとバカ真面目に出社していたのです。

 一週間後、勤務中の昼間に急に少量の出血がありました。怖くなり、翌朝にクリニックを受診。

 内診後にNST(赤ちゃんの心音モニタリング)も自分からお願いして行いましたが、出血は少量で子宮頸管も4.5cmあり、NSTも問題が無く、張り止めを処方され帰宅しました。

 陣痛が来たのは翌日の晩でした。確かに陣痛でしたが当時私はまだ妊娠7ヶ月。昨日先生から問題ないと言われたばかり。これは何...?暫くしたらおさまる...?事態が飲み込めず、朝まで様子を見ようと思ったのです。

 朝、陣痛はおさまるどころか4分間隔にまでなり、痛みで疼くまる状態でした。上の子を起こし夫の運転でクリニックを受診。周囲の空気から、取り返しの付かない状態になっていると悟りました。

 内診し、一昨日4.5cmだった子宮頸管は6mmになり、子宮口は2cm開いていました。

 当直の先生が医大から応援に来られていた方で、至急協力要請をかけてくださったため、すぐに搬送していただけた...という事だけが不幸中の幸いでした。

 〜緊急搬送から先はまた次回〜

 謎にしんどかった一週間をのぞけば、私の妊娠経過は非常に順調で、「普通」でした。

 どうか、今妊娠中の方や、妊婦さんが周囲に居るという方が万が一にもこの記事を目にしていたならば、知っておいて頂きたいです。

 どんなに妊娠経過が順調でも、瞬く間に事態は変わります。少しでもしんどかったら、休んでください。少しでもしんどそうだったら、休むように口出ししてください。もしかしたらそのしんどさが、切迫早産の予兆かもしれません。

 働く妊婦さんは、心の中で周囲に迷惑をかける事を心苦しく思っている方が多いと思います。しんどくても引き継ぎ資料を作らなきゃいけないとか、これ以上迷惑をかけられないとか。

 どうか、守ってあげてください。妊婦さんは、自分と赤ちゃんを。周囲の方は、妊婦さんを。

 子どもより大切なものなんてないのだから。